紅茶の零しどころ

オタクが気まぐれで書いてる

アイカツ!楽曲「ロンリー・グラヴィティ」とは、とある底辺アイドルの物語

アイカツ!4thシーズンの楽曲「ロンリー・グラヴィティ」の歌詞について、考察もとい妄想の末に自分の中である結論に至ったのでそれについて。

先に言っておきますが本解釈はかなり妄想強めです。

 

概要

「ロンリー・グラヴィティ」は聴いてもらえれば分かるように歌詞の中に明確なストーリー性がある。

その内容は、とある孤独な星と宇宙船のコンタクトを擬人法を用いて星の主観から描いた物語だ。自分で書いていて思ったけれど文字に起こしただけではなかなか意味が分からない。簡潔に言うと出会いと別れの歌だ。

「宇宙の中で長く孤独だった星に突如着陸した宇宙船。未知との遭遇に浮かれ気分な星は、その宇宙船にずっと自分の元に居続けていて欲しいと願うがやがて別れの時がやってくる...。」

要約するとこういう内容。

 

曲自体がめちゃくちゃ強いのですぐにハマって聴き込んでいる内にこの曲について色々考えたのだが、ある日ふと「この曲はもしかして擬人法ではなくてむしろ暗喩によって描かれる曲なのではないか?」と思いつく。この曲は天体と船の関わりをまるで人と人の関わりのように表したのではなく、逆に人と人の関わりに天体と船の関わりに似通う部分を見出したのではないか、と。

 

そして最終的に自分の中で一つの解答に辿り着いた。それは、「ロンリー・グラヴィティ」は本編でスポットライトに当たることのないような、とある売れない底辺アイドルの物語を歌った曲なのではないか、ということ。 この考えを支持する最大の要因となったのは、アイカツ!シリーズを通して本編の中で最も印象的に表現される「アイドルは"星"である」というアナロジーの存在である。

星はアイドルの、船はアイドルのファンのメタファーとして表された、アイドルの目線から語られるとあるアイドルとアイドルファンの出会いと別れの物語、それが「ロンリー・グラヴィティ」に対する本解釈の本筋となっている。

この解釈では歌詞中に登場する「孤独な星」は「売れないアイドル」、「星に着陸した宇宙船」は「とあるアイドルファン」のメタファーとして登場することを頭に入れてもらい、どのような世界観でこの曲が展開されていくのか歌詞を順に追って説明する。

 

歌詞詳細

1番~

真っ黒なパレットに散りばめた。

光たち、その一つ、恋しげに回る。

流れ星と一緒に、どこか行きたい。

いつまでここい居て、いつまでひとりきり。

前述した通り、 アイカツ!シリーズを通して共通することとして「アイドル」=「星」というアナロジーがある。このことは本編の物語を読み解く上で非常に重要な役割を持っているが、この曲においてもそれは同じく、アイドルは空に輝く星々として表現される。

光たち(=アイドルたち)の中に一人、恋しげに回る孤独な星

いつまでひとりきり。孤独はアイドルとして上手くいかず注目されることもなく、ファンもつかない状態を表し、この孤独な星はとある売れない一人のアイドルとして描かれ、このアイドルの目線で物語は展開される。

 

 

 数え切れない時が、過ぎたある日。

キラリ、なにか光った、ボクに、近付いてきた。

加速度増してく、自転、忘れそう。

アイドルとして芽が出ずに燻り続ける日々の中、突如として自分に興味を持つ人が現れ、止まっていたアイドルの物語が動き始める。

 

 

キミと目と目が合い、フラフラ、軌道がズレたような気がする。

キミが大気圏にDiving Now  震えたボクのハート。

ずっと上手くいかずにいたアイドル活動の中で、主人公のアイドルに初めてのファンが生まれる。

星(=アイドル)を見つけた宇宙船(=アイドルファン)は、その星に着陸する(=固定ファンになる)ことで二人の関係性が定着する。

ここで、星であるアイドルの「自転忘れそう」「軌道がズレたような気がする」という語りは初めてのファンが生まれたことに大きく心が動く様子を表すものであるが、後に続く歌詞を考えるともう一つの意味があると考えられる。

「自転を忘れる」ことも、「軌道がズレる」ことも、基本的に惑星の在り方として本来あってはならないことである。つまり、ここの歌詞が意味するところは「主人公のアイドルはアイドルとしての道を踏み外しかけている」ことであると見ることができる。

もしこの曲を擬人的に描かれるものとして見るのであれば、これはに恋をしたことを表すであろう。ならば暗喩的に捉える本解釈においてこの歌詞は、「恋愛はタブーであるとされるアイドルが初めて出来たファンに特別な感情を抱いてしまった」という意味を表す。ずっと待ち望んでいたファンの誕生と、自分に魅力を見出してくれる唯一の人の登場が合わさったことでアイドルの心は恋愛感情か、それに近い感情へと発展してしまったのだ。

 

ただ本解釈において、ここでは道を外したという解釈はせず、恋愛感情を含めずに「単純にファンが出来たことがとても嬉しかった。初めて出来たファンをかけがえのない存在だと思った。」程度におさめてもいいのかもしれない。曲全体的にはどちらを取っても大きく解釈が変わるわけではないので、どこまで読み取るかは読み手次第?

 

 

キミは引かれたのかな、ミラクル、ボクのグラヴィティ。

ドキドキするボクのハート、未知との遭遇だ。

ハジメマシテ」からだ。

 世間的に人と人が意識し合うことを「惹かれ合う」と言ったり、「愛は重力」と言われるように、ここでは重力がそのまま人が人を惹きつける力として比喩されている。

 つまり、「ボク(=星)のグラヴィティ」とは 「人を惹きつけるアイドルとしての魅力」のことを指している。

 「『ハジメマシテ』からだ」はアイドルとして特典会・握手会でのそのファンとの初めてのコミュニケーションであると考えても面白いだろう。

 

 

2番~

灰色のキャンバスに刻まれた。

足跡が描いてく、新しい大地。

メイン・エンジンはまだ、つけないでよ。

いつまでここに居る? いつまで居てくれる?

アイドルとして愛や元気といったものを届けるべきファンがいなかった主人公のアイドルだったが、ファンが出来たことで灰色だったキャンバスがようやく色づき始める。

 第4話「Oh!My!Fan!」などに挙げられように、アニメ本編においてもやはり「アイドルはファンがいてこそ」ということはシリーズを通して度々語られており、歌詞中ではファンが生まれたことでアイドルとして生き生きとし始めた様子が描かれている。

しかし光り輝くアイドルが数多いるその世界において、アイドルファンの目は移ろうもの。やっと、初めてできたそのファンもいつかは自分から離れて、また独りぼっちの孤独な星に戻ることをアイドルは恐れる。

 

 

何万、何億光年、夢に見てた

誰かとのコンタクト。熱に浮かされていく、

無数に広がる、星の中で。

無数のアイドルがいる世界の中、ずっと待ち望んでいたファンとのコンタクトに、二人の世界へと入り込んでいく。

 

 

落ちサビ~

キミと目と目が合い、フラフラ、軌道がズレたような気がする。

そんなに見つめられちゃったら、震えちゃうボクのハート。

こんな楽しい時がもっと 、続けばいいのにな、インフィニティ。

近づく別れは薄情だな、止まりそう、ボクのハート。

初めての幸福体験に、 アイドルとファンとして交流していくほどその初めてのファンに対する想いを募らせていくアイドル

ずっと自分のファンでいて欲しいと思うアイドルに対して、やがてそのアイドルに満足したか、あるいは飽きたか、他界・推し変の兆しを見せ始めるファン。二人は親密な関係を築いていたように見えて、アイドルファンはあくまでもアイドルファンであった。無数に広がる星を行き来するアイドルファンに対して、自分からファンの方へと動いていけるわけではないアイドル。薄情な別れだと感じるそのアイドルは果てしなく無力に描かれている。

 

 

テイクオフのカウント・ダウン。

シクシク、ボクのグラヴィティ。

伝えるべき言葉は。

「サヨウナラ」じゃなくて、きっと「マタアシタ」だ。

テイクオフ、つまり固定ファンからの脱却、他界。

アイドルファンを引き留めることのできなかった自らの力不足、アイドルとしての無力なグラヴィティの現実を再び突き付けられる。無力なアイドルは別れに悲しみ泣くことしかできなかった。

 

そしてやってくる別れの時。ここで注目して欲しいのは、自分から離れていくファンに対して「サヨウナラ」ではなく「マタアシタ」と伝えるべきなんだとアイドルが思い至ることである。

「マタアシタ」という言葉に、きっといつかまたそのファンには自分の元に戻ってきて欲しいという切な願い、そしてファンを楽しませるべきアイドルとしてファンに送る言葉はポジディブな言葉であるべきだ、という芽生え始めたアイドルとしての矜持が顕になるシーンだと解釈する。

無力なアイドルであったが、初めてのファンとのコンタクトを経たことでアイドルとして一歩成長できたことが伺えるフレーズになっているのだ。

恐らく最後になるであろうその日、サイン会か握手会か、そのファンとの最後の交流に「また明日、待ってるね」と儚く、しかし健気に、アイドルらしく、アイドルは答える。

 アイドルは再びファンを失い、ロンリー・グラヴィティを放つ孤独な星になってしまったが、そこには絶望の中で小さな希望が生まれつつあった、というビターエンドで物語は終わる。

 この孤独なアイドルの出会いと別れの一部始終を描いたものが「ロンリー・グラヴィティ」なのだ。

 

以上が自分なりに考えた「ロンリー・グラヴィティ」の歌詞の意味するところである。

 

終わりに

冒頭でも繰り返しましたが、本解釈はアイカツ!における「アイドル=星」というアナロジーから着想を得ています。

本編では触れられることのない底辺アイドルのある一人にスポットライトを当てて描いた、本編と対極にある陰のアイドルの物語を「ロンリー・グラヴィティ」に見出したのが、自分の辿り着いた答え。

余談ですが、この曲の歌唱はるかさんとななせさんなので、底辺アイドルの物語として「スターライト学園編入後、どん底から這い上がることが出来なかった世界線の大空あかりの物語」と考えるのもまた一興。(大空あかりちゃんのオタク、石は投げないで)

 

私の解釈が合ってるか合ってないかは置いておくとして、こういった意味やストーリーを曲に見出すとその曲への思い入れも自然と深まって楽しいので無駄な深読みはこれからも楽しくやっていきたいなぁと思います。それでは。