紅茶の零しどころ

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「キラッとプリ☆チャン」1話 感想やってみた

プリリズ・プリパラを繰り出してきたプリティーシリーズにすっかり取り憑かれているゾンビの皆さんこんにちは。そうでない皆さんもこんにちは。

プリパラの後継作となるプリティーシリーズの新作「キラッとプリ☆チャン」の第1話が放送されたのでその感想というか、私が第1話のどういうところを見ていたのかの所感的なやつです。

 

 

プリチャンの世界観とテーマ

「誰でもアイドルになることができる」

「いつでもどこでも世界の誰とでも一つになれる」

作中でめが姉ぇさんから説明のあったプリチャンのこのスタンスは、プリパラで一貫して掲げていた「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」という思想を受け継ぎ、更に幅を広げた感じ。

しかしプリパラでは "多様性の肯定" がテーマだったのに対し、本作ではどちらかというとインターネット等が普及して個人で動ける範囲が大きく広がり、個人と個人が切磋琢磨する現代社会においてどのようにして一人一人が自分を主張していくか、というテーマがあるように思われます。

プリパラでは「個性の肯定」でしたが、プリチャンでは「個性の発見・主張」というイメージでしょうか。

一から個人で作り上げていくYouTuber(本作ではプリチューバー)という存在を取り扱うにあたり、やはりそういう意図があるのかな。

本編最後の就寝シーンにおける桃山みらいの「どんな私を見てもらおうかな」というセリフからもこのことは伺えます。

後々の展開でキャラクターたちの「個の主張」がどう壁にぶつかり、それをどう乗り越えていくのかが本作の見どころであり、視聴者に伝えたいメッセージの大きな一つになってくるのだと思います。

 

プリチャンライブとCGモデル

プリチャンを見て一番「うお~~!!」となったのがこちら。

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キャラクターたちがCGモデルで会話をするという今までのプリティーシリーズになかった新しい試みが見られたシーン。

ビビッと来ましたね。

プリリズ・プリパラともにこれまでは基本的にライブシーンでしかCGモデルが使われることはなかったのですが、プリチャンにおいてまた一つ技術的な進歩を感じてウキウキせずにはいられませんでした。

タツノコCG班の高クオリティCGを存分に活かせますし、演出的な面でも非常に良い試みだなと感じています。

キャラクターたちがプリチャンで配信活動を行う際はCGアニメを用いて演出することで、キャラクターたちの日常の内側を描いたシーンと配信活動という日常の輪から外へ向けた活動のシーンを視覚的に差別化が出来るのが演出面において効果的なものとなってくるのではないでしょうか。

あと余談ですが、現在ブームになっているバーチャルYouTuberの追い風もあってこの分野にはかなり伸びしろがありそうな予感がしますね。なんならバーチャルYouTuberの要領で現実の動画投稿サイトにプリチャンキャラでコンテンツ展開できたりしますし。(ウマ娘はぱかチューブと称してもう実際にやってるけど)

 

CG技術に関しては安心と信頼のタツノコ技術だったので今後も期待が高まる一方ですが、ライブシーンの演出に関しては今一つ物足りないかな...?というのが本音です。

これまでプリティーシリーズのライブシーンには、プリリズにおけるプリズムジャンプ・プリズムアクト、プリパラにおけるメイキングドラマ・サイリウムチェンジといった感じでライブで一番の見せ場となるアクションが存在していましたが、プリチャンのライブシーンにはそれらにあたるアクションに弱く、演出面で少し物足りないと感じてしまうのが一つ痛手ですね。

プリリズAD,RLはプリズムショーの競技性をプリズムジャンプに、プリリズDMF,プリパラはショー(ライブ)のエンターテインメント性をプリズムアクトとメイキングドラマ・サイリウムチェンジに描いており、プリティーシリーズにおいてライブの目玉となるアクションは作品のテーマにも重要な意味を持つものとなっていました。

それに対してプリチャンライブでは、プリパラのメイキングドラマ的なアクションはありましたがそれに特に名称などはありませんでしたし、そのアクションの役割・立ち位置があやふやなのが不安点かなと。

これからの展開でこのアクションについても掘り下げられては行くと思いますが、プリティーシリーズ的にはめちゃくちゃ大事にして欲しい要素なので現段階ではそこが懸念かつ期待のポイントですね。

とはいえ何を言おうがまだ1話ですけど。

 

作画演出から見るプリチャン

プリチャン第1話は各キャラクター間の力の優劣関係が作画に非常に分かりやすく描かれています。

映像作品において非常に有名な手法ですが、舞台演出のルールとして上手・下手の法則というものがあります。

舞台演出において上手(画面の右手・上側)は正の位置、下手(画面の左手・下側)は負の位置となり、この手法において上手には強い者や主人公、下手には弱い者や悪役を配置して力関係や立場を示します。(詳しくは調べてみてください)

 

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えもとあんながいがみ合うシーン。

上手側のあんなは実力のある人気プリチューバーであるのに対し、下手側のえもはまだプリチャンを始めていない無名者であるという力の優劣関係を表しています。

 

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この場面においてあんなとさらは執拗にアオリ視点で描かれており、また奥から手前にやって来る構図にすることで二人の姿を大きく捉えさせ、みらいとえもにとって二人が強大な存在であるということを描いています。

あんなちゃんからオーラが放たれているのも「幼女でも分かる力関係の演出」って感じでパワーがあっていいんじゃないでしょうか。(コメント適当か?)

 

みらいとえも、あんなとさら。この二組が今後どのような関係になってくるか、どの場面で力関係が変わってくるかをこの上手・下手の法則を頭に入れながら見ていけば面白いかもしれませんね。

 

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白鳥アンジュとの邂逅シーン。

これも人気アイドルで力の優れた者であるアンジュが上手側、プリチャンデビュー前のまだ一般人のみらいとえもが下手側に来ています。

 

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プリチャンデビューを前にして怖気づいてしまうえもとみらいの対比。

デビューへの決意をするみらいは上手側に描かれ上を向き、目を瞑り震えるえもは下手側に描かれ下を向いています。

こういったシーンにも二人の関係性がこの手法に則って描かれているので意識して視聴するとまた面白いです。

ここでみらいをプリチャンに誘った(半ば巻き込む形で)えもの方が怖気づいてしまうところが良いですよね。

 

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もう一つ気になるカット。

この街頭の6つの星と1つの大きな星はプリチャンの主要キャラクターたちのメタファーのように思えます。

みらい・えも・りんかの3人組に、あんな・さら、そして本編中にチラッと映った6人目のレギュラーキャラクターが6つの星で、アンジュが中央の大きな星に見立てられていると見ています。

この後のシーンでみらいとえもが日の落ちた空に一番星を見つけ、大スタアになることを二人で決意するわけですが、アイドルを輝く星とするアナロジーはアイドル作品ではよくあることで(というかむしろそれがスタンダードみたいなところはある)、二人の掛け合いがこの星の模様を持つ街頭に暗喩された意味を確かなものに感じさせますね。

このシーンに示されたように、あの7人を中心にプリチャンの物語は展開されていくのでしょう。

 

 

ざっと書きましたがプリチャン1話で注目して見ていたところはだいたいこんな感じです。

期待する点も、不安な点もありますが何といってもまだ初回。

内容はこれからどんどん良くなっていくものと期待していますので、プリティーシリーズにどっぷりな一オタクとして、今後のプリチャンの展開を楽しみにいています。

2話以降の感想はブログエントリーには特に書かないかもしれません。

何か心に響くことか何かがあればまた書きます。

それではプリティーシリーズゾンビの皆さん、良きプリチャンライフを。