まちカドまぞく アニメ第1話を見たオタクが語りたいだけ
時、来てるぞ。
『まちカドまぞく』が遂にアニメ化してしまった。
「桃シャミの最強の関係性がとうとう映像化されて果ては世界に伝播されてしまうのか......」と考えるともう全身がブルブル震えてしまい心身ともに健康とは言えない状態で放送時間を待つなどしていましたが、無事に人の形を保ったまま記念すべき第1話を視聴し終えることができたので本作への感想や気になったことについて少し。
オープニング
放送前に公開されていた視聴動画と実際に放送されたOPではメロディに所々差異が見られます。
特にハッキリ異なっている部分は「ゆらゆら揺れる前髪~」からのAメロの旋律がマリンバとトランペットに変わっているところですね。
あとサビからアウトロ(間奏)への入りのドラムも変わっていますが、これはTVsizeのカットの仕様の問題なのかな。音源がどうなるのか気になるところ。
縁取られ互いに隔てられた場所を歩くシャミ子と桃。
二人が魔族と魔法少女という違う枠組みの中で生きていたことを暗に表す構図が憎い。
背景の建物は桃側の方が背が高くビル群が立ち並ぶ一方、シャミ子側は建物の背が低く住宅地を思わせる。二人の生活環境の差異が背景に表れていると捉えられます。
シャミ子側に太陽があるのもミソですね。
心をなくしたバフォメットさん、ノリノリ。
絵面が魑魅魍魎すぎてウケる。〇〇〇〇、もといミカン箱の上で踊るよりしろごせんぞとシンバルを叩くトリタロウがかわいいな......。
13丁目と26丁目の扉絵。
ぽっきんアイスはマジで泣くのでダメなんですよね。傘の柄を二人で一緒に持っているという、さりげなくしかし強烈な関係性の描写に卒倒してしまう。
左側の花はタチアオイ(ホリホック)。花言葉は「平安」「大志」「高貴」「熱烈な恋」。
対して、右側の花は青色のアジサイ。花言葉は「高慢」「辛抱強い愛情」。
どちらも梅雨を象徴する花ですが、それぞれ花言葉を並べてみるとなるほど桃とシャミ子に対応しているように思える。特にタチアオイと桃。二人の背丈とカラーの対比にもなっているから参った。
これは完全に余談ですが、アオイ(葵)という名前は葉が太陽の方向へ向かって伸びることから連想された「仰ぐ日」と書く「仰日(あうひ)」を由来としているとされます。
オープニング映像、既に桃シャミが強火すぎる。
キャラクターの質感
映像の中に登場人物たちの生活感がめちゃくちゃに描き込まれています。
元より質感を色濃く感じさせる密な作品だったけれど、映像化によって更なるリアリティーを帯びている。
吉田家のキッチンスペース。
壁のシミや器具の劣化具合はもちろん、収納スペースがないから調理器具を壁に直にかけていたり傍に家庭ごみ分別ポスターが貼ってあったりとリアルな生活感が描かれています。
千代田家のリビング。
吉田家とは対照的な広々とした空間には家具や小物のオブジェクトがほとんどなく、機能的なキッチンも使われている形跡が全然ない。
極めつけはこの食事シーン。
桃の殺風景な日常風景へ視聴者を没入させます。
彼女たちの「町内」で繰り広げられるこの物語において、身近な範囲内での生活風景や所作・行動の描写による質感というものがこの作品の世界像を構築するのに重要なファクターであるので、その点で大きな信頼を寄せています。
桃の不健康描写、好きすぎる......。
もう一つ。
桃が左手でダンプを止めたシーン、実は桃の左手が折れているという話。
ダンプを止めた後に桃が自分の左手を気にする描写が入っています。原作でも桃はその後シャミ子に気付かれぬように左手を自分の後ろに隠しますが、こういったさり気なくもしかしキャラクターの所作に因果関係のあるリアルな描写に質感は宿るんですね。
こういった映像的な表現が出来ることはアニメ化の大きな武器だと思います。
Bパート、学校での二人の初対面シーン。
邂逅を果たした片手ダンプ事件の翌日、桃が左手首に包帯を巻いているのが見えます。描写が緻密。
オノマトペの演出
こういうやつ。
擬音や枠外のセリフを文字にする演出、自分は結構好きです。
画にコミカルな感じが出て作品のテイストにもマッチしていると思います。
最も特徴的なのは、その擬音がSEではなくキャラクターの声で読み上げられることで「擬音ボイス」とでも言うべき演出が生まれているところでしょう。
この擬音ボイス手法は演出効果の素材として該当の登場人物のみを用いるので、セリフ中の付加要素を最小化する効果があると考えています。
特にキャラクターとキャラクターが対面する場面において、それが「人物間の対話」であることを強調し、また内面描写を補完する役割も持ちます。
展開もリズミカルになるので、桃とシャミ子の対話によって展開されていくストーリーを考えるとこれで良いんじゃないかなと思います。
若干くどいという話も分からんでもないですけど、そこはさじ加減によるかな。
ちなみにまちカドまぞくには「作画文字監修」というクレジットがある。
エンディング
ベースがゴリッゴリなので聴いてるだけで身体が大暴れしてしまう。
「宵待ち」とも「良い町」とも読めるcantare。
原作者である伊藤いづも先生が作詞されているという点だけで無限点のポイントをあげられてしまうんですけれど、映像の方も山川吉樹エンディングがゆるく可愛くてこれが味わい深い。
山川吉樹とまちカドまぞくの相性、めっちゃ良くないですか?
ハミだせ!!15話の桃色謹製プロテイン飲料。作品への愛だなあ。
作中の様々な小ネタをありったけ拾ってくれていて嬉しい。
宇宙のめくれた部分が見えていてウケる。
気になったシーン
変身バンクで映った桃の変身コンパクトの中身。色違いのヘアピンと昭和六十年の500円玉とネジが入ってる。
原作3丁目の「桃色銀行レベル1」(アニメ第2話の範囲)で桃の変身コンパクトの中にネジと500円玉が入っているのが描かれているので恐らくそのネタですね。
ただこのネジ、見てわかるように右ネジではなく逆ネジなんですよね。
桃が生活の中で逆ネジを使うような場面って何かあったっけって考えてみたけどちょっとよく分からない。
何らかのメタファーとして深読みすることもできるけど、桃が左利きなことに由来しているとかそんな感じに考えています。
OPの小倉しおん。
後ろの魔法円は何を意味するのか。1カットの背景にしてはやけに描き込まれているので何らかのモチーフがあるのでは...と思ったが、僕はグリモアや魔法円については詳しくないので有識者の意見求む。魔法円の中にはプロビデンスの目、もしくはホルスの目らしきシンボルが描かれているようにも見えます。ソロモン72柱の悪魔に関係するもの?
蛇は世界的に信仰の対象であり、生と死の象徴・豊穣の象徴とされます。多くの文化の中で蛇は神聖な神と見なされますが、ユダヤ・キリスト教では聖書の創世記から悪魔の化身あるいは悪魔そのものとされます。それっぽいことだけ言っておこう。
魔女帽子に巻き付く姿はウロボロスを連想させないでもない。
ただこれ2巻冒頭の噓あらすじのシーンなのに小倉しおんだけ本編の普段の様子と何ら変わりないところがね。この小倉しおんがこのまま本編に出て来ても「いつもの小倉しおんだろ」としかならないのがヤバい。第1話ではまだ人畜無害な一般生徒面をしていたことにもう面白さしかない。
桃の変身エフェクトにも謎の目が。これは...?
(追記:一応ネタバレ注意)
桃の変身エフェクトに紛れこむ目のシンボル、上に載せたシーン以外にも登場しています。改めて少し考えてみたのですが、やはりこれはプロビデンスの目ではないかなと。
その根拠になり得る記述が作中にあるのですが、単行本5巻で神話の時代の光の一族は「世界の矩を定義した荒ぶる全能の存在」と説明されています。また同時に「その存在は人に融け込み消え去った」とも述べられています。
魔法少女は世界の均衡を保つために光の一族(=かつての神々)に遣わされる存在であり、存在の根源が光の一族であることのシンボルとして『神の万能の目』であるプロビデンスの目が変身時に現れるのではないかと考えます。
この考えでいくと後に登場する魔法少女である陽夏木ミカンの変身時にもプロビデンスの目が浮かび上がりそう。
終わりに
まあ簡潔に言うとまちカドまぞく第1話、56562億点って感じです。
桃やシャミ子たちが動いている姿を見れただけで涙ちょちょ切れるという話もあるけど、作品の導入としてほぼ完璧な第1話だったんじゃないでしょうか。
特にアニメとして最後のアニオリパートを個人的にかなり評価しています。
原作にないストーリーを追加するのではなく、あくまで本編のストーリーを補完するための幕間として描かれていたのが良かったですね。
千代田家と吉田家、それぞれの日常生活にフィーチャーすることで、桃とシャミ子の家庭環境の対比を描きながら、今後開けていく二人の町内世界の出発地点となる基礎を第1話の中に描いておく。実は大切なことだと思います。
まだあんまりピンと来なかったって人も後生ですのでとりあえず第3話までは見てください。おそらく第3話でこの作品の方向性がハッキリと分かるお話が来ると思いますので。
というか桃とシャミ子の絡みがまだ薄いこの第1話の段階で既に桃シャミに脳をぐちゃぐちゃにされている自分なので次週以降は人の形を保てるかが気掛かりです。
これから3ヶ月、気張っていくぞ。
OPの最後で人を殺すな。