紅茶の零しどころ

オタクが気まぐれで書いてる

佐々木李子2ndワンマン「RicoRium~ただ、君に歌いたい~」 感想

某日、佐々木李子さんの2ndワンマンライブに参加しました。

佐々木李子ソロ現場は今回が初だったのですが、あの日彼女のパフォーマンスに衝撃を受けて以来そのことを思い出さない日はなく、持て余した熱の収まりもつかず気持ちのやり場に困る日々を過ごしてます。そんなこんなでその整理をつける意味でも、自分の道標として後で振り返るためにも、あの日感じた何かをここに記しておきたいと思う次第です。

感想と書きましたがもしかしたらこれはもっと個人的なもので、ただの日記かもしれないことは先に断っておきます。

 

経緯

自分が佐々木李子を知ったのは『キラッとプリ☆チャン』から。

虹ノ咲だいあの歌う『フレンドパスワード』にその歌唱力と表現力の高さを知り、キャラとしての彼女に深い思い入れが生まれたところでアーティスト佐々木李子の楽曲にも興味を持つようになりました。

その時はまだ個人現場に足を運ぶことまでは特に考えていなく。が、昨年12月のプリパラ&キラッとプリ☆チャン Winter Live 2019、初めて彼女のパフォーマンスを観た時あのソウルフルな歌声にすっかり心揺さぶられてしまい、それはまあズビズビ泣いてしまったわけで…。

それ以来佐々木李子さんへの関心はグンと強くなったのだけれども、そもそも自分が関西在住で(一般的なオタクの感覚では)移動がそんなに簡単ではないことと時期が時期で研究が忙しく時間的な余裕が無かったこともあり、結局それからワンマンまで現場に通える機会は一度も無く。プリウィン後も芳しくないワンマンの売り上げのために寒い中でも頻繁に路上ライブに赴いていたことを本人やオタクたちのツイートから見ては「苦労してるんだなあ」と思いつつ、自分はそこへ駆けつけられないでいることを寂しく思い悶々とする日々を過ごしていました。

チケットも本当は路上ライブに行って手売りで買いたかったんだよな…。(これを今でも悔やんでる)

 

 ライブの所感

「現場行きてえなあ〜!」という気持ちだけをなんとなく膨らまして待ちわびた2ndワンマン当日。そんなに良い番号でも無かったので知り合いと後から入って適当な場所に収まり、特段の浮かれた気分というわけでもなく順当に開演を待っていた。そうこの時はまだ悠長だった……。

 

凛とした姿でステージに立ち、始まった一曲目「Histoire du Reve」。

目覚めと物語の始まりを感じさせるような透明感のあるメロディに始まり、サビで一気に視界が広がるような展開を見せるこの楽曲はまさにライブのオープニングとして最高だったと思う。聴いていて凄く心地が良くて「これから佐々木李子の音楽の世界が始まるんだ」という予感を一曲目から深く印象付けられた。導入完璧。

続く「Imperfect」「FLAMING」はゴリゴリのロックチューンで、一曲目で温まった心の熱を一つ残さずもっと高い場所へとブチ上げてくれる。あまりにもパワフルで芯の強い歌唱に身体を貫かれて横にいる知り合いにも「マジでヤバい!!」しか言えずもう踊ることしか出来なくなっていたしここで既に佐々木李子の音楽に身体を支配されてたと思う。あの一曲目からこれが出てくるの凄すぎるだろ??

 

MCを挟んでの「ミライドライブ」、可愛いの権化。一転して可愛いポップチューンをも歌いこなす姿には「声優じゃん!!!」となったな...。(声優です)

かと思えば続く「tell you, tell me」では再びロックでハードな佐々木李子が顔を出す。この転換がマジで凄くて、「歌で場を支配するってこういうことか...」と戦慄してしまった。

「酩酊」では更に雰囲気を変えてジャズテイストなステージに。アダルティーでエロティックな歌詞と、それを切実に表現するパフォーマンスに完全に魅せられた。ミライドライブを受けてからのこれはあまりの表現の振り幅の広さに悲鳴が漏れそうになるよ。聴いていて本当に酔いしれてしまうな。

「酩酊」から「Good bye,Liar」に繋がる流れ、これもまたジャジーなムードで自然と世界観の共有がなされているような感じ。この流れは音楽を "聴く" ことの楽しさがあって凄く良い。

 

そして一番言及したかった楽曲「Empty Doll」。

「こういう過去があって今の私がある」という自身の経験を元にそんな心の移り変わりを作詞したとMCで語られていた。この楽曲がもうどうしようなく刺さってこの日最も心揺さぶられたのだが、彼女がこの曲に込める思いとそのストーリーが深く胸に響いたのと同時にそのことに動揺している自分もいたわけで。

本人の体験談である歌詞に唯一で本物の感情を込めて歌声や仕草に一つずつ紡いでいく姿は、まるで本人の身に起きた過去の出来事をそのままステージ上に再演しているかのようで、それはあまりにもリアルで等身大な自己表現だった。

あの場で歌詞と声色から伝わって来たものはあまりに多く、彼女の過去を何も知らないはずなのにどうしようもなくその心情を理解して感情移入してしまっている自分がいた。何も知らないのに全部知ってる気がして涙が零れそうになり、自分でもビックリしてしまった。そんなことある??

思い入れがあったわけでもない楽曲にここまで激しく心揺さぶられた体験は恐らく今までに無かったと程のものだったと思う...。なので感情になるのと同時に「なんで俺こんなに泣けるんだ!?」と動揺もしてしまったし、「なんで俺はその過去を知らないままここに立ってしまったのだろう...」と現実と心情の埋まらないギャップに心がバグってしまっちゃった。初見にもそれ程あの日の「Empty Doll」は凄まじかったと思う。

その「Empty Doll」の作詞について書かれているインタビュー記事をその後読んだけど、まあ無事に再び心が押しつぶされてしまった。この曲の成り立ちや他の楽曲についても詳しく語られているので是非。(下に置いておく)

www.lisani.jp

 

 続く「Knock Out!」では何か枷から解き放たれたかのような印象を持たせる楽曲でこの日一番力強く歌い切り、「Freedom」では正も負も感情の全てをあるがままに曝け出すような歌唱を浴び、完全に佐々木李子の世界に没入させられた。3曲続けて歌い切った後、李子さん自身も「トリップしちゃってました」と一拍置いて我に返ったように言っていたのが印象的だったな。

 

 その後も新譜の「Play the world」でコーレスしたり、「ドリームクライマー」「Fly High」「Under the Flag」のアップテンポなキラーチューンの連続で音楽に踊らされるがままに踊りまくったり跳びまくったりして究極に楽しい時間が続いた。「Under the Flag」とかいう最強の跳び曲が未音源化なの信じられない...。

 

セトリも終盤に入った頃、MCで李子さんの口から語られたのはファンへの感謝の言葉だった。

「そこには自分と色んな出会い方をしてくれた人がいて、昔はただ独りよがりに歌を歌っていた自分だけれど、今ではみんなに届けたいものがあるから歌っている。出会ってくれたみんなにありがとうを込めて。」そんな風に言葉で伝えて歌われた「Departure」。そして「そんなみんなとこれからも一緒に歩いて行きたい」と歌われたアンコール前ラストの「寄り道」。

MCでも語っていた過去に躓いた時期の話やワンマンのチケットが全然売れなくて必死にドサ回りした話のことがフラッシュバックするように思い起こされ、本人の苦悩や苦労をぐるぐると考えてしまってもうこっちは感情移入の渦潮。

その一方で、やっぱりどうやっても自分は彼女の昔のことは知らないのも事実で。その時自分はそこにいなかったのだからそれは当然なんだけど、ただ歌から伝わってくる想いに胸を打たれながらも本当は自分がそれを真に理解する立場にないことを自分で理解してしまっているのが妙にもどかしくて。

今ここにこうしていられることは喜ばしいことだけど、だからこそ「俺もこの人をずっと見てきた人間としてこの場に立ちたかったな……」と思わざるを得なかった。もっと前からこの人のことを追っていたなら、この人が苦しんでいた時そこに自分がいたなら、この大きな感動をもっと確かなものとして近い距離で分かち合うことが出来たのかなあ〜って考えてしまう。これ酷い我儘~。でもそれぐらい佐々木李子の歌には人の心を動かす力があったんだ。少なくとも自分には。

それでもMCの言葉や「寄り道」を歌い上げる気持ちに、形や時期はどうあれど ”今こうして出会えたこと” 全てへの感謝の想いが綴られていて勝手にだいぶ救われちゃった面もある。ここまで来て初現場なのに異常に思い入れを抱いている自分がいることに気付いてしまって、なんか「え、そこまで??」って感じで自分で自分のこと見つめて一周回って笑っちゃった。(良い思い出)

 

客席からの「カーテンコール揺らした~」の声を受けて飛び出したアンコール。

 「カーテンコールを揺らして」、めちゃくちゃ良い曲すぎる。李子さんが初めて「もう歌えないかも」と絶望してマイクすら持てなくなった時、それを支えてくれた周りの人たちからの声に励まされ、立ち直れたことを歌詞にして書いた曲だそうだが、そのストーリーももう歌声を聴けば何よりもハッキリとわかる。「この瞬間をずっと待っていた」と言わんばかりの笑顔で楽しそうに歌い上げる姿も何よりの証左だった。

ここでまた「あ~~、俺はこの歌の中にはいないんだ...。俺はこの人が苦しんでいた時期を知らなくてその時期に支えられる人間じゃなかったんだ...」となって(良い意味で)頭を抱えてしまった。 もはや持病と化した...。それぐらい心にガツンとくる良い歌声だと思っている。サビの印象的なリフレインが一生頭を離れん。

「手作りの歌」、初っ端の歌詞でまた「わ~」って感情になったんだけど何だったか忘れちゃったな。本人が初めて作詞作曲した楽曲。会場全体を巻き込んでの手拍子のやり取りを交わしてみんなで一つの歌を作り上げていくようなあの一体感と手作り感は温かくて、なんだかほっこりしてしまった。本人が「こういうことしたかった!めっちゃ楽しい!」と言ってる姿を見たらなおさら。

オーラスの「Finale」、曲名の通りこの日の終楽章となった楽曲。

この楽曲が生むライブ感と大団円感がマジで良すぎる。サビに跳びポがあるのも神。未来志向の前向きな力に溢れているこの楽曲は、本当にストレートに聴く者にパワーをくれる。ただ真正面からぶつかって来る直球の強い想いに心の底から沸いたし、「この人からもう目を離したくないな」と思わさせられるようなフィナーレだった。これからも共に進み続けていくことをその場で力強く宣誓する、そんな気持ちの良い締め方。あれだけ自己を曝け出した姿を見せられてしまったら彼女がこれから紡ぐ物語を見届けないわけにはいかないんだよな。必ずこの先もの景色を一緒に見たいと思ってしまったので完敗です。

 

その後

 燃え尽きた。燃えカスになってた。

自分はこれが初の佐々木李子ソロ現場なのが信じられなかった。佐々木李子のパワフルでソウルフルな歌唱は本当に良くて、「こんな真に迫った感情を歌に出せる人がいるのか〜...」と唖然としてしまった。

これで「Empty Doll」の歌詞のようにライブが下手だった時期があるなんてまあ信じられない。でもその時の苦悩や苦労は彼女の紡ぐ歌から痛いほどに伝わってきた。何も知らないはずなのに全部わかってしまうという心理状態、本当に脳がバグる。歌声に乗る感情の全部が本物で、そこにしかない臨場感があって、その場で歌われている事象は実際に今そこにある現実の出来事かのように思えてしまう。そんな強力な歌唱力を持っているアーティストなどそういないと覚えるし、ずっと探していた何かをついに見つけてしまったようなカタルシスさえあった。

だからこそ、それを意識するほどに「でも俺、あの人の過去も本当のことも何も知らないじゃん!」となってしまって、それがとにかく悔しくて。その日は夜行バスで帰ったけれど、バスの中で一人「なんでこの人のこともっと早く知れなかったのかなあ」とちょっと泣きたくなるぐらい。本当に良い内容のライブだったからこそ、あの場で歌われていた全てをもっと近い距離で理解して共有したかった、ということばかり考えてしまう。

こういう時どうすればいいのかなあと思って解決方法を探ってみた。出てきたのは「人には人の出会うべきタイミングがある」みたいな言葉だった。そうか〜。

 

いや、うるせ~~!!シバくぞ。

どうしようもないことにどうにか折り合いをつけることは勿論大事だし、生きていく上で必要なことだろうと思う。でもそれは宿命論的な言説を使って自分をなんとか納得させたがっているだけじゃないのか?諦観してるつもりになってるだけなんじゃないのか?少なくとも自分は自分の心にもっと正直でありたい。

マジで悔しくて仕方がないし、もっと早く出会いたかったしか言えない。「出会うべきタイミング……」なんていう凡な思考の類型に納得するつもりはない。それでも今こうしてちゃんと知れたことはこの上ない喜びではあるし、邂逅を選択した自分の行動は間違っていなくて、そのことは忘れたくない。でも悔しいなあと思わさせるのはやっぱりあの歌声あってこそ。

過去には戻れないし、俺はこれからのことしか知れない。だからせめてこれからのことは見逃したくないと思う。

とりあえず後先考えずに2月15日のシナプストーリーのチケットを購入した。購入してからスケジュールを確認したところ、イベントの三日後に研究の最終発表会が控えていた。逡巡する。本当に行って大丈夫かこれ?

 

......まあなんとかなるだろ~~~!俺は行くぞ。いつか「あの時追いかけ始めて良かったな~」とデカい顔で言える日が来るのを信じている。

今度は知り合いオタクも連れてライブに行きたいところ。絶対に巻き込んでやりたいな。