紅茶の零しどころ

オタクが気まぐれで書いてる

アイドルタイムプリパラにおけるキャラクターと「夢」の関係性

※注意:この記事はアイドルタイムプリパラ第35話「未知とのミーチル」までのネタバレを含みます

 

先日放送されたアイドルタイムプリパラ第35話「未知とのミーチル」、見ましたか??

そう、本当にすこぶる面白かったのだ……。我々が狂気だと思い込み「まあプリパラだし!w」と受け流してきたシーンや演出もなんと実は巧妙に張り巡らされた伏線だった。ギャグのテイストが色濃すぎる当作品でそんなことされても分かるわけがない。

 

さて、そんな右肩上がりっぷりを見せるアイドルタイムプリパラだが、各キャラクターの抱える問題に続きみちるとミーチルの謎が明かされ、パパラ宿に纏わる謎も判明し、その物語の全貌を見せ始めた今、役者が出そろったところで今一度それぞれ各キャラのキャラクター性について考察して行きたい。

 

アイドルタイムプリパラをある程度以上視聴されている方なら間違いなくお分かりかと思うが、本作の大きなテーマとして「夢」がある。

「夢」とだけ聞けば「なんだ、普通の子供向けアニメやってんじゃん」みたいに思うかもしれないが、本作はその「夢」へのアプローチの仕方が実に面白いのである。

どう面白いかと言うと、アイパラに登場するメインキャラクターたちはそれぞれ皆キャラクターと夢の関係性、つまりキャラクターが受け持つ「夢」というテーマに対する役割がそれぞれ全く違うということである。それを一人ずつスポットを当てて見て行く。

 

 

夢川ゆい

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「無限の夢を生み出す少女」

所謂規格外のような存在であり彼女の誰にも止められない夢への情熱は本物で、それ故の重度の妄想癖があるが、かなりの努力家でありどんな逆境にも屈しない根性を持ち合わせており自分の夢には確固とした信念を持っている。(11話での虹色にのとの会話は必見)

その力は自らにとどまることを知らず、他者に新しく夢を与えたり、夢を蘇らせたりするほどの影響力を持っており、これが彼女が主人公たる所以であり物語の主軸にも関わってくる。

また、パパラ宿はその性質上プリパラ再建のために無限の夢を生み出すゆいの存在が必要不可欠となっている。

ゆいは妄想を始めると通称「ユメ目」と呼ばれる目を開き、完全に自分の世界に入り込んでしまう非常に癖の強い特徴があるが、この「ユメ目」は後々「夢を取り戻した少女」のアイコンとして作中で扱われるようになる。これは実は巧妙な刷り込みであったことが後に発覚する。

また、彼女の夢を見る力は無限大であり夢を妨げる外圧の象徴であるパックをもってしてもその夢を食べ尽くすことは出来ずにむしろ返り討ちに会うレベルだった。

更に遡った話をすると、パパラ宿にパックが襲来した頃の彼女が幼かった時から彼女だけは夢をずっと失うことなく持ち続けており、プリパラから事実上消えたパパラ宿においてたった一人孤独となっても諦めることなくプリパラのことを想い続けていた。

 

外圧に屈しないこと、孤独に負けないこと、他者にすら夢を与えることから、夢川ゆいは作中において彼女自身が絶対的な「夢を見る少女」の象徴なのである。

また、彼女の逆境に屈しない努力家な一面として、夢を叶えるための努力はどんなことでも惜しまない姿が本編では度々印象的に描かれており、夢を持つことそのものが強力な力であるということを身をもって伝えている。

 

 

虹色にの

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「夢を忘れていた少女」

彼女は幼い頃かつて持っていたはずの夢を忘れており、物語序盤は大きな夢を持つことなくあちこちで助っ人活動に勤しむ毎日を過ごしていた。

シオンとの出会いもあり、一時は「シオンに勝つこと」を自分の夢として認識するが、みあに敗れたシオンに「それが本当に夢であるのか」ということ、本当の夢を思い出せていないことを指摘されてしまう。

第33話にて幼い頃にパックに夢を食べられていたことが判明し、パック&ガァララから取り返したその夢は「困った人を助け、みんなを幸せにするヒーローアイドル」だったことが明らかになる。

これによって、作中で「大きな夢や目標を持たないが故の行動」であると思われていた彼女の助っ人活動や人助けを自ら買って出る性格が、実は「夢を忘れても失われることのなかった虹色にのの本質」として現れていたことが判明する。

 

虹色にのの存在とは夢は自らの在り方そのものに関係していることを表し、夢は人の行いの本質となり、人格の核となり得るということを示してくれているのである。

 

 

幸多みちる

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「夢を抑圧した少女」

彼女は本編登場時より夢を持たないキャラクターとして描かれていた。口癖が「無理」であり、性格は内気でネガティブにして生まれつきの不幸体質である。

しかしプリパラ内では性格が正反対になり、人格がミーチルへと変わってしまう。(公式見解ではみちるとミーチルは別人格)

 第35話にて、彼女も幼い頃は「お姫様みたいな強気なアイドルになりたい」という夢を持っていたが襲来したパックから自分の夢を守るためにその夢を抑圧し、自分の右肩へと隠してしまっていたことが判明する。彼女は「夢を持っていなかった」のではなく、自己暗示することで「夢を無かったことにしてしまっていた」のだ。

プリパラに顕現したミーチルとはみちるが抑圧した「夢」の具現化。ミーチルが度々口にしていたプー大陸の浮上とは、抑圧からの解放、無意識から意識への浮上であり、みちるとの融合を果たすことだったのである。

ミーチルがみちるの夢のありかを知っていると言ったのも、あろまに対して「みちるは強い」と言い切ったのも、みちるが「夢」であるミーチルを守り抜いた女の子であることをただ一人知っていたからだった。

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みちるとミーチルは邂逅の末に心を通わせることで一心同体となったが、ミーチルという人格はプリパラで変わらずに健在である。

 

幸多みちるという存在は夢など持っていないと自認する子でもその心の奥底に秘匿されているかもしれない潜在的可能性を優しく指し示し、さらに外圧から自分を守るために夢を抑圧してしまうことを弱さではなく強さとして肯定した上で、意識の底へ沈めた夢を再び意識の表層へと導いてくれるのである。また、たとえみちるが覚醒しなくともらぁら、ゆい、にのは「そのままのみちるさんで好きだ」と弱いみちるを受け入れており、弱さを否定するのではなく、それをその人の個性として受け入れる優しさもプリパラの持つテーマの最たるところである。

ゆいとにのの在り方ではカバーできないかもしれない、夢に、自分に消極的な子へのアンサーこそが幸多みちるという存在なのだ。

 また、融合を果たした後にみちるは右肩の荷が降り性格も少し前向きになれたがミーチルという存在は変わることはなかったのは、抑圧した自分を肯定し受け入れたことの証であると言える。

 

 

地獄ミミ子

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「夢を諦めた少女」

幼い頃はその優れた耳による驚異的な絶対音感とリズム感でアイドルになることを夢見たが、周囲からはその名前を笑われ自分にアイドルは無理だと言われたことで心を閉ざしてしまい、「夢」を封印してしまった。

彼女が異様なまでにプリパラを嫌悪していたのは、プリパラが「かつて自分が諦めてしまった夢」だったからである。

第16話にてプリパラに連れ込まれゆいとらぁらのステージを見たミミ子はかつての「夢」を思い出し、自分探しの旅へ出る。

旅の中で蟠りを少しづつ解消し、第23話にてパパラ宿に帰ってきたミミ子はかつての「夢」を叶えることを決意し、プリパラデビューを果たす。

 

彼女はその在り方から自分自身に嘘をつかず、その心と正面から向き合うことの大切さを説いてくれるのだ。

また、「夢が外圧に曝される」「夢を封じ込める」という面ではミミ子とみちるは似た性質を持っているようだが、みちるは夢を守るためだったのに対してミミ子は夢を諦めてしまった少女であった。しかし、このようにミミ子は自分を見つめ直し再び夢を手にしていることから、一度諦めた夢でも再び手を伸ばすことは出来ることを我々に示してくれている。

 

 

真中らぁら

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「夢を叶えた少女」

前作主人公&今作のW主人公である彼女は現行の神アイドルである。神アイドルはプリパラに通う全ての少女の憧れであり、らぁらは「夢」を取り扱う今作において「夢を叶えた少女」として登場する。ただし、らぁらはパパラ宿のプリパラに入る際にプリチケが折れ曲がっていたことでバグが発生し、プリパラ内でも普段と変わらない容姿となっている。

 

神アイドルである真中らぁらは、ゼロからのスタートだったパパラ宿において夢を叶えた身近な存在として「夢は叶う」ということを後押しする役割を持っているのである。

夢の先駆者でありアイドルの先輩であるらぁらは、主人公であるゆいにとっても精神的な支柱となっているのだ。

プリパラの象徴であり「夢の実現」の体現者である彼女は存在そのものが誰かの可能性であり救いとなり得るのであろう。

特に第35話において夢が見つからないみちるを「なかったらなかったでいいのかも」「みちるさんのこと今のままで好きだもん。好きってだけでいいよ。もう無理させるのやめよう」とゆいに伝える姿は、まさに"強さも弱さもひっくるめて個性として受け入れて尊重するプリパラ"の体現者であると言える。「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」なのだ。

また、彼女がアイドルタイムになってからプリパラ内での容姿も小さくなっている意図としては、前作の主人公である彼女を物理的に小さくすることによって、本作の物語における彼女の存在を最小化しようとしている節があると考えられる。つまり、アイドルタイムプリパラにおいての真中らぁらはあくまで新世代の背中を押してサポートに徹する先輩役にある、ということだ。

 

 

 東堂シオン

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「夢に敗れた少女」

 前作にて神アイドルグランプリファイナル決勝戦でSoLaMi♡SMILEに敗れ、優勝にあと一歩届かなかったDressing Pafé。敗れたシオンは前作最終話から再び神アイドルを目指すべく武者修行の一人旅に出ている。

第19話でドロシー・レオナとの一時期な再会を果たした後に「自分より先を行く、とある謎の人物を越えたい」という目的で再び旅に出る。

第28話にて遂にその追いかけていた人物・セインツのみあと対面。彼女に勝つために勝負を挑むが、もはや彼女が勝敗の次元を越えている事を悟り、ドロシー・レオナに迎えられる形でDressing Pafé再結成を果たす。

 

「夢」をテーマとする本作において、前作の主人公格であるソラミドレシの中でも主人公である真中らぁらに次いで東堂シオンの扱いが大きいのは、「夢を叶えた少女」である真中らぁらとは対照的に、「夢に敗れた少女」として登場するからである。

 何事も白黒つけるのがモットーだった彼女だが、武者修行の果てにみあとの対決を経て、誰かと比べたり勝敗を競うことによらない、絶対的で主体的な自我としての夢を持つという考えに至ったのだと考えられる。これは彼女の持ち歌である「絶対生命 final show女」への回帰になっているとも考えられるのではないだろうか。

自分に勝つことが夢だと語ったにのの夢を「小さい夢」だと告げたのもこの心境の変化からだと見られる。

 

 

以上に挙げたように、アイドルタイムプリパラの登場キャラクターは皆それぞれ三者三様な「夢」との関係性を持っており、この多様性こそが本作の非常に面白く、深いところであると考える。

テーマこそ「夢」ではあるが、本シリーズの根本にある多様性を取り扱う部分に関してはアイドルタイムにおいても変わっておらず、やはりそこがプリパラという作品の最たるところであるのだと感じている。

アイドルタイムプリパラは「夢」について多角的に描くことで幅広い視聴者に様々な可能性を提示してくれているのだ。

 

 筆者の体力が尽きたので今回では触れないが、本編ではここに「夢を見ない少女」である華園しゅうかがゆい、にの、みちるのライバルとして、「夢を妨げる少女」であるガァララ・ス・リープがパパラ宿をめぐる問題の原因として立ちはだかる。

...のだが、ここでもまた華園しゅうかの実情は超ストイックな努力家の現実主義者であって、あえて言うならばしゅうかにとって「夢(=願い)とは直ちに叶えるものであり、直ぐに叶うものである」ということであり、「明確な目標」をもってして「夢」を否定するしゅうかはアイドルタイムプリパラにおける強力なカウンター的存在になっていたり、ガァララが女の子の夢を妨げるのは皮肉にも「孤独な夜の番人であるガァララもまた、プリパラの華やかな世界に夢を見る等身大の女の子である」ことに起因していたりと、なんとも憎い設定をしているのがまたアイドルタイムの面白いところなのではあるが、それはまたそれとして後日どこかに記せたらと思う。

また、アイドルタイムプリパラは「夢」というテーマを示しながらも「夢など無くても十分に生きていける」という残酷な側面を持ち合わせていたり、もう一つの重要なテーマである「時間」というテーマがあるのだが......それもまた私に体力と時間があれば記していきたい。

 

女の子の「夢」をめぐるこの物語が終盤に向かうに連れてどのような展開を見せるのか、これからも楽しみに期待している。